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双極性障害Ⅱ型と向き合いながら、書道家・声優・ライブアイドルとしての邁進の日々を綴っていく奮闘記です。

双極性障害Ⅱ型と向き合いながら、書道家・声優・ライブアイドルとしての邁進の日々を綴っていく奮闘記。同じ疾患を持つ人の気持ちが少しでも和らいでくれたらと思い作品や対処法など書いていきます。

はつ。

躁鬱病パニック障害を患っている、麻綾といいます。

去年の今頃まで東京にいましたが、働けなくなって生活できなくなったので地元の九州に帰り、実家で暮らしてます。


元々、9年くらい前にうつ病と診断されて、でも医師と馬が合わず通院をやめ、夢のためだけに、夢を支えに生きてきました。

自傷行為や不眠気味であったものの、「夢のために」を頭に置いて、仕事をしていました。

幸い、仕事場はいい人ばかりで順調で、楽しかったのを覚えています。

契約満了で仕事を辞め、上京して一人暮らしをしていました。
上京したての頃から夢の仕事をいただき、バイト先も決まり、ただひたすらがんばっていました。

ただ、地元とは家賃も物価も違い、今までのお金の使い方だと生活できないことに気づき、もともと少食だったのもあり、食費を削る生活になっていきました。

それでも夢の仕事はやりたかったので、そのためだけにがんばってました。

その甲斐あって、たくさん夢の仕事をする機会をいただきました。

ただ、お金がいつまでたってもないことにイラつき、自傷行為がまた増えるようになりました。
最初は腕、あまりつけると目立つので、次は太ももや脚。
でも、目立つなんてことも気にせず、ただひたすらザクザクするようになりました。
その頃は、血を見ると生きてるんだと実感出来て、それだけが頼りでした。

今は後悔しています。



上京して何年かして、憧れだった秋葉原で働くことができるようになって数ヶ月、大事な人に出会いました。
その人はとても行動力があり、その時近隣住民とトラブルがあったりしていたので、見兼ねて自分の家に引っ越すようにと、引越し費用も出してくれ、私を救ってくれました。

この人がいなければ、私はチャンスを失い、とうに地元へ返されていたかも知れません。

秋葉原のお店はとても楽しく、自由で、のびのび働くことが出来ました。
その頃は、まったくうつ病の症状は出ていませんでした。もう治ったんだ、と嬉しくなりました。

同棲して数ヶ月、秋葉原で働いていたところが閉店し、秋葉原の別のところで働くようになりました。
だけど、人間関係の辛さから、行かなくなってしまいました。

そのあと、働き口を探していると、秋葉で働いていた時のお客さんに、バイトを探していると紹介してもらい、新しくドラッグストアで働くことになりました。

思えばこの時から、雲行きは怪しかったのだと思います。

私は周りの人の空気に敏感で、特に嫌われている空気がすぐにわかってしまいます。

悪口を言うとか、自意識過剰とかそういうのではなく、その人の纏っているものがわかってしまうんです。

新しい働き口では、私はあまり歓迎されていませんでした。
仕事を教えてくれる人も、押し付けられて嫌そうにしていましたし、わからないことを聞いても、言葉少なく、とても聞けるような雰囲気ではありませんでした。
 
挨拶もしっかりしていたし、粗相をしたわけでもないのですが...どうしてなのかは未だにわかりません。

でも、それでも一年がんばれたのは、よくしてくださった先輩がいたからだと思います。
わからないことはその人がいればその人に聞いていましたし、本当に色々良くしてくれました。

ただ、やっぱり自分が嫌われている状況で働き続けるのは、その時の私には重く、家に帰っても休まらず、次第に仕事に行くことが苦痛になってきました。

嫌われている、というのは、直で言われたわけではなく、本当に雰囲気でピリピリ伝わってきたんです。あれは今でもトラウマです。

挨拶をしても返ってこない。目も合わせてくれない。ほかのアルバイトには笑顔で話すのに、私だけ。働く時間帯が被ってなかったことが幸いです。

一年経とうとした時、新しく入ってきた薬剤師さんと仲良くなれて、いろんな話をしました。
眠れない、仕事がつらい、苦しい思いを相談しました。

そしたら、自分の友達が行っていた病院に行ってみたら?と紹介してくれたんです。話を聞くと、安易に薬を処方しないところだと言っていました。

その時は病院に行きたくてもどこにいけばいいのか、また馬が合わなかったらどうしようとかで悩んでいたので、その日のうちに予約を入れました。

東京では病院へ行っていなかったので、すこし怖かったです。



長くなるので、分けます。